2009年04月06日 08:42
市長の一期目、当時の助役を民間からとのことで市長が開発銀行出身(政府系)で県内で唯一人脈のあった82BKに依頼し、慶応、早稲田出身の2名が浮上。
市長が早稲田OBであったせいかO氏に決まった。
地元では慶応OBとの下馬評であったがO氏に決まった。
早稲田ラインで市長は進もうと思ったが結果として飯田地区での経済界の影響力は慶応閥が強く、この事は後にあらわれてきました。(2期目は確実に早慶戦の様相になった)
その後副市長になる訳だが、その間元々銀行においても営業畑ではない為、人脈に乏しく、出身高校、地元と松尾でもほとんど名前さえ知らないのが現状であった。
行政改革本部長となる訳だが何一つ実績を上げられず、議会でも答弁さえできず市職員からも相手にされず、本来副市長(助役)は従来、部、課長をはじめ、市長に伝えたい事を相談したりするのが役目の重要性を理解できず副市長の来訪者もほとんどなく、市職員、市役所の活力の低下はひどい状態となり、まあ任命責任のある牧野市長にその原因はあるのだが、その結果、市の関連団体三セク等で本人が取締役をしていた会社がほとんどこの間どうにもならなくなり、天竜峡温泉宿舎破たんは全くひどいものであり、議会側も調査委員会を作る(市で初めて)いわゆる所管事務調査を実施するに至り市長支持議員からも反対、追求の火の手が上がるありさま。
逆に言うとO氏の唯一の功績は82BKの3000万近い負債を公的資金(市)を導入して片がわりし、その会社を解散させ、新たに4000万を投入して市の直営会社にしてしまった。
破綻した会社の社長(地元自治会長)はあて職はまだしもO氏以下、取締役も何ら責任もとらず市民の税金を利用しただけで、何らの具体的責任もとらずに今期、退職金を1600万もらって1期4年でやめちゃった男です。
私の聞いている話では、病院の医師の不足に関連して、病院関係者と信大を含め、依頼活動をしていたが病院関係者もあきれるほど何んにも熱意もなく、積極的なアプローチもしないので、市長が彼に対して真剣に取り組む様、相当強くせまったところ、本人はびっくりして急に仕事に対する意欲を失い、辞意を口に出し、ここにいわゆる銀・銀コンビが解消する事になり、この事は議会における副市長人事の混乱を招き、牧野市長のリーダーシップの弱さを露呈する事となった。
いずれにしても、病院経営の能力はゼロ、一般企業の財ムもほとんど期待することはできない
<おまけ>
82BKの長野時代の「オリンピック室」では、あの吉村知事の裏金疑惑の関係者として、その筋では当たり前の話しで、投資会社の社長など、結果としてここ5、6年で、82退職→投資会社→飯田市副市長→駒ヶ根病院と天下りをつづけ都合3回の退職金をもらいながら、さて昭和伊南ではどうするのか、注目にあたいする。
飯田の心のある人達はあきれているのが本音です。