「どう子どもと接したらいいかわからない」と悩む父親が増えているという。
石川県金沢市の民間非営利団体(NPO)「子ども夢フォーラム」が開設する電話相談には、子どもへの接し方などに悩む父親からの相談が寄せられ始めている。
「パパママ・ホッとライン」という相談窓口がある。
電話相談には、父親たちから「どう子どもと接したらいいかわからない」「仕事で夜が遅く時間がない」といった声が寄せられている。
団体の代表は、「特別何かしなくてはと、身構えてしまうお父さんが目立つ」と話している。
同団体は、父親の育児参加を支援するため、企業や行政機関に出向き「パパ子育て講座」も開催。
「母親から子どもの状況を聞くことだけでも、子どもとかかわっているといえる。子育てについて気軽に話してほしい」と呼び掛けている。
◇ ◇
う~ん、他人ごとではない。
我が家には3人の娘がいるが、うまく接しているかどうかは分からない。
特に疎ましくされているわけではないので、悩んではいないが。
長女が生まれる時、東京にいたので産院はいろいろな選択肢があった。
これといったこだわりもなかったので、最寄りの産婦人科医院で普通のお産をするつもりだった。
ところが、ちょうど同じ時期にご近所さんも出産を控えていて、こちらは自然食品を扱う仕事をしていることもあり、出産にかなりこだわりを持っていた。
ご近所さんに誘われて助産院へ見学に出かけてみた。
すると、別世界といっても過言ではない出産のドラマが用意されている。
子を産むという哺乳類としての行いが、自然に受け入れられている。
「面白い」というのが率直な感想。
ここで産ませてもらおうということになった。
出産は助産師が手伝ってくれて、父親が主役を務める。
立会出産とは責任も役割も雲泥の差がある。
へその緒を切るのも父親。
産湯につけて清めるのも、体重を計るのもみんな父親の役目。
産着に包んで母親に手渡して大役を終える。
後で聞いた話だが、大抵の父親は出産の際に直面する大量出血に怖気づいて主役を助産師に代わってもらうのだという。
私がニコニコしながら、助産師の言われるがままに全部やってしまったので、かえって呆れられてしまった。
でもね、不謹慎かもしれないが本当に面白かった。
へその緒を切るとき、「二度切りしちゃだめよ」とプレッシャーをかけられ、感触を確かめながらザクッと切った手触りは今もリアルに覚えている。
出産後は、助産院に一週間泊めてもらうのだが、父親も夕食を持参すれば一緒に食卓を囲ませてくれた。
とっても家庭的な助産院だった。
私は酒を飲まないが、一緒に出産した他の家族が祝杯をあげていると助産師さんが「おっぱいあげているときに酒を飲むと赤ちゃんも赤くなるよ」というので、うちの奥さんがやってみると、本当に「赤ん坊」になった。
厳密には良くないことかもしれないが、細かいことは気にしない肝っ玉母さんのようなお産婆さんだった。
これを機に、人生観が変わった。
自分の人生なんてのはどうでもよくて、子供を育ててまともな親にすることが自分に課せられた使命だと気が付いた。
命を紡ぐとでもいうのかな、難しく言うと種の保存でもある。
子供を育て上げるために親の人生はあるのであって、親の人生の一部に子供が存在するのではない。
子供もやがて親になり、同じ循環を繰り返す。
これが我が家の子育ての基本原則であって、何物にも優先する。
子供たちにもこれは共通の理解となっているので、親がやっていることは自分(こども)たちのためにやっているのだという暗黙の理解がなされている。
こういったわけだから、子育てのノウハウのようなものにはほとんど興味がない。
自分(親)のためではなく子供のためにと考えて日々を過ごせば、大抵のことは子育てに役立つ。
あまりに「子供のために」を前面に出すと、子供たちがプレッシャーを感じるので、あくまでも基本原則にとどめるのだが。