2008年04月18日
・聖火を守らなくてもランナーは守ってほしい

もちろん北京五輪の聖火の話です。
人権を無視し、少数民族の平和をないがしろにする「ならず者国家」(CNN論評)で開催される「平和の祭典」は、今回に限り『平和を求める祭典』となる見込みです。
その象徴である聖火が長野の善光寺を出発点にリレーされる予定になっていますが、善光寺の対応が日本中の注目を集めています。
同じ仏教徒として、チベット仏教者が受けた抑圧を黙認してよいのかどうか、仏の心が問われているからです。
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善光寺が出発地辞退検討 長野聖火リレー
長野市で26日に行われる北京五輪聖火リレーで、出発式を行う予定の善光寺がスタート地点の辞退を検討していることが17日、関係者の話で分かった。
世界各地でリレーへの妨害行為が相次いだのを受け、幹部らが17日、対応を協議した。
計画では、本堂と三門の間のスペースに特設会場を造り、26日午前8時から点火式などの出発行事を実施することになっている。
長野市の聖火リレー実行委員会は善光寺境内への立ち入り規制を検討していた。 =04月18日(金) 信濃毎日新聞=
オリンピックは世界の平和を示す4年に一度の祭典であることはゆるぎないが、開催場所が本当に適当であるか否かが問われています。
中国が国威発揚にオリンピックを政治利用しようとする意図は明らかなので、各国の思惑が入り乱れ、社会を混沌とさせている側面がクローズアップされてしまっていると思います。
日本を通過する聖火が平和の灯火ならば、チベット抑圧をアピールするシュプレヒコールの中を、粛々と行進する姿を全世界に配信すればよい。
聖火ランナーやボランティアに事故があってはならないが、聖火は事故にあっても仕方がない。
ランナーには自分の身を守る責任はあっても、聖火を守る義務は微塵もない。
人を傷つけることなく、あるがままに批判活動を受け入れることができるよう、関係者の努力を期待したいところです。
Posted by komachan at 08:28│Comments(0)
│社会問題
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