2007年11月01日
・行き場のない出産難民はどこへ

産科がなくなり、整形外科がなくなって、総合病院としての機能を果たせなくなってしまった昭和伊南総合病院(駒ヶ根市)は、その典型です。
上伊那では1700件近くの出産がありますが、そのうちの500件を受け入れていた昭和伊南の産科がなくなることで、その余波は連携強化病院の伊那中央病院に押し寄せます。
さらに、上伊那で受け入れきれない「出産難民」は、下伊那に回されることになっていますが、これまで順調に運営されていると思われていた飯田市立病院も危機に立たされているといわれています。
ここでも産科の医師が半減する可能性が高まり、出産受入数を現状の1/3にすると見られているからです。
伊那谷全域で出産難民の出現が現実問題としてより深刻化してきました。
上伊那地域では、里帰り出産を禁止して出産件数を減らそうと算段していますが、産科医師の減少は全国的な広がりを見せているので、よそへ押し付けて数字上のつじつまが合うと考えるのは虫が良すぎます。
助産院と個人開業医で受け入れられる150件程度を除いた1500件余が伊那中央病院に押し寄せる事態が起きると思われます。
伊那中央の院長は「先着順で受入を越えたものは断る」と市民に向けた勉強会で述べていますので、受け入れられるとされる1200件を除いた300件のお産は、行き場を失います。
現状では、受入を超えてしまっても、新たな受け入れ先を見つけてくれる広域連携が確立されていません。
上伊那の市町村長は、地域住民の生存の根源である「お産」を守るために、万難を排して臨む姿勢が求められています。
医師のプライドや「白い巨塔」の壁を突き破って、危機を打開するための早急な取り組みには、市民の知恵を借りるしか打開する方策はないでしょう。
行政も慣例やプライドを捨てて、地域の人材に問題解決の助けを求める姿勢に転換する必要がある緊急事態です。
Posted by komachan at 07:53│Comments(3)
│社会問題
この記事へのコメント
こんにちはー。
この問題があって、
なんとなくこどもを作る気がしなくなってます。
自分が難民側になったら手立てがないというのは恐いです。
ただ、出産は病気じゃないのだから、
病院に頼る必要はないのでは?
とない知識で考えたりもしていますが。
ともあれ、この件は真剣に取り組んでいただきたいものです。
この問題があって、
なんとなくこどもを作る気がしなくなってます。
自分が難民側になったら手立てがないというのは恐いです。
ただ、出産は病気じゃないのだから、
病院に頼る必要はないのでは?
とない知識で考えたりもしていますが。
ともあれ、この件は真剣に取り組んでいただきたいものです。
Posted by ななしです。 at 2007年11月01日 10:15
少子化の時代に、こんなことやっていて良いのだろうかと、政治家の無能が気になります。
「出産が病気じゃない」と気がついている妊婦さんが少数派だから医師に負担が集中している側面もありますが、出産を医療行為にしたがっているのは医師会や医療行政でもあります。
生まれてくる子供のための出産環境の整備は、霞が関のお役人や白い巨塔に鎮座する医学者たちには無理なんだと痛感しています。
「出産が病気じゃない」と気がついている妊婦さんが少数派だから医師に負担が集中している側面もありますが、出産を医療行為にしたがっているのは医師会や医療行政でもあります。
生まれてくる子供のための出産環境の整備は、霞が関のお役人や白い巨塔に鎮座する医学者たちには無理なんだと痛感しています。
Posted by komachan at 2007年11月01日 21:22
ある僻地の総合病院で産婦人科医をやっているものです。1日おきの月15回の当直を行い、当直があけてもそのまま外来診療、手術、分娩という毎日をおくっています。もちろん土曜、日曜はなく盆も正月もありません。当直ではない夜もしょっちゅう呼ばれています。病院の半径5km(時間にして20分)からは離れられない生活です。
100歳近い祖母と、病気の父が他県で暮らしていますが、今年の盆には見舞うこともできませんでした。おそらく死に目には会えないでしょう。
私が暮らしているところから遠く離れた長野県のことですが、この記事とコメントを読んで悲しくなりました。
何年も前から現場で働く産婦人科医療の関係者は周産期医療の危機を訴えてきました。しかしながら、それに対して一般市民の方々、マスコミ、行政は無反応でした。現場で働く人間とそうでない人間との「問題意識のずれ」「深刻さに対する認識のずれ」。このような状態になっても、「ずれ」の溝が埋まらない。
「医師のプライドや「白い巨塔」の壁を突き破って、危機を打開するための早急な取り組みには、市民の知恵を借りるしか打開する方策はないでしょう。」
あなた方が考えるところの「医師のプライド」は、医者になって1年目のときに、既に捨ててしまいました。働かない看護士さんに代わって、自分で患者さんの採血を行い、それを検査室に自分で持っていき、さらに薬局まで薬をとりに行き、自分で患者さんに点滴を行っています。助産婦さんの代わりに妊婦さんの腰をさすったりすることもやってきました。わかりますか?あなた方が考えるところの「医師のプライド」なんてとうの昔に捨ててしまっているんですよ。いいですか?最悪の労働環境でかろうじて現場に踏みとどまっているのは「医師のプライド」が残っているからなんですよ。恐らく伊那中央病院、飯田市立病院の産婦人科の医師達は私と同じような労働環境で働いているはずです。逃げ出したい気持ちでいっぱいでしょう。それでも逃げ出さないのは「医師のプライド」が残っているからではありませんか?伊那中央病院、飯田市立病院の産婦人科の医師達の生活や家族のことを考えると胸が詰まります。
それでも、
「上伊那地域では、里帰り出産を禁止して出産件数を減らそうと算段していますが、産科医師の減少は全国的な広がりを見せているので、よそへ押し付けて数字上のつじつまが合うと考えるのは虫が良すぎます。」などということが言えますか?
「白い巨塔」って何ですか?何故、現場で働いている人間の話を直接聞かずにテレビドラマやマスコミの報道のみで現場の状態が理解できると本気で思っているのですか?いいですか?「白い巨塔」なんて「壁を突き破る」どころか、すでに崩壊してしまっていますよ。大学病院の権威なんて働く医者がたくさんいた時代の話です。厚生労働省がすすめた臨床研修医制度が原因で大学病院で働く医者は激減しました。昔みたいに産婦人科医師がいない地域に医師を派遣しようにも医師がいないのです。教授が医局員にやめないで欲しいと泣きついている時代ですよ。
いいですか?産婦人科の先達は自己犠牲の精神で日本の周産期医療を世界のトップレベルに押し上げてきました。今、現場に残っている産婦人科の医者も自己犠牲の精神で頑張っています。医療ミスはないのに結果が悪ければ訴えられ、そして高額の賠償金(億単位)を払わせられる。犯罪人として扱われる。結果が良くても当然とされ感謝の言葉もない。
そんなリスクの高い環境で産科医療を行っていることを本当に理解していますか?周産期医療の崩壊を嘆くなら、まず、産婦人科医がなぜ少なくなったのかについて、現場で働く医師の一人一人に直接話しを聞くべきではありませんか?そのような努力をしてきましたか?マスコミの情報だけで判断していませんか?
「行政も慣例やプライドを捨てて、地域の人材に問題解決の助けを求める姿勢に転換する必要がある緊急事態です。」
現場の産婦人科医師はこれまで自分の生活・財産を犠牲にして母子の生命を守ろうと頑張ってきました。しかしながら現場の人間はもう限界です。これ以上はできません。これ以上を求められるならば医者を辞めるつもりです。
私はブログ主に聞きたい。現在の産科医療を支えるために、あなた自身は今現在どのような自己犠牲を払っていますか?また、どのような自己犠牲を払う覚悟ですか?自分の生活・財産を犠牲にする覚悟はありますか?医者ではないから自己犠牲を払わなくていいということはありませんよ。 あなたが、あなたの地域の未来というものを本当に憂えているなら、人として自己犠牲を払うべきです。痛みを伴わない署名活動などでは決して解決しませんよ。
他者に依存したり問題解決を図ろうとする姿勢こそが問題であり、甘えではありませんか?
周産期医療の崩壊は進行してはいません。進行していたのは過去の話です。もう崩壊してしまったのです。
それと妊娠・出産はご指摘のように病気ではありません。ですから、陣痛のきた妊婦さんが救急車を呼んで病院に行くというのは馬鹿馬鹿しい限りです。妊娠・出産というのは他の動物と同様に「自然の営み」です。すなわち生命が誕生し、死に至るという一連の過程で起こる一場面です。「自然の営み」である以上、他の動物と同じように妊娠・出産で母親や赤ちゃんが亡くなることもあります。実際、10万人あたりアフガニスタンでは1900人、アフリカでは830人、ヨーロッパで24人の妊産婦さんが亡くなっています。現在の日本では10万人あたり6~7人の妊産婦死亡ですが、自宅出産がメインであった1950年代の日本では180人の妊産婦さんが亡くなっています。当然のことですが人間だけが妊娠・出産というリスクから守られているわけではありません。繰り返し言いますが、妊娠・出産は病気ではありません。「自然の営み」です。ですから、医者や助産婦の介助で産まなければならないということはありません。しかしながら、妊娠・出産というものを本当に理解していますか?
私自身は誰がどこで産もうと勝手であると思っています。好きな場所で好きな方法で好きなスタイルで産んでもらって構わないと思います。ただ、手遅れになってから病院にくるのはやめて欲しいと思います。まず、何より他の妊婦さんにとって迷惑ですし、受け入れる余裕がありません。妊娠・出産というものを本当に理解しているのならば、どのような結果になろうとも「自然の営み」として受け入れるべきではありませんか?
100歳近い祖母と、病気の父が他県で暮らしていますが、今年の盆には見舞うこともできませんでした。おそらく死に目には会えないでしょう。
私が暮らしているところから遠く離れた長野県のことですが、この記事とコメントを読んで悲しくなりました。
何年も前から現場で働く産婦人科医療の関係者は周産期医療の危機を訴えてきました。しかしながら、それに対して一般市民の方々、マスコミ、行政は無反応でした。現場で働く人間とそうでない人間との「問題意識のずれ」「深刻さに対する認識のずれ」。このような状態になっても、「ずれ」の溝が埋まらない。
「医師のプライドや「白い巨塔」の壁を突き破って、危機を打開するための早急な取り組みには、市民の知恵を借りるしか打開する方策はないでしょう。」
あなた方が考えるところの「医師のプライド」は、医者になって1年目のときに、既に捨ててしまいました。働かない看護士さんに代わって、自分で患者さんの採血を行い、それを検査室に自分で持っていき、さらに薬局まで薬をとりに行き、自分で患者さんに点滴を行っています。助産婦さんの代わりに妊婦さんの腰をさすったりすることもやってきました。わかりますか?あなた方が考えるところの「医師のプライド」なんてとうの昔に捨ててしまっているんですよ。いいですか?最悪の労働環境でかろうじて現場に踏みとどまっているのは「医師のプライド」が残っているからなんですよ。恐らく伊那中央病院、飯田市立病院の産婦人科の医師達は私と同じような労働環境で働いているはずです。逃げ出したい気持ちでいっぱいでしょう。それでも逃げ出さないのは「医師のプライド」が残っているからではありませんか?伊那中央病院、飯田市立病院の産婦人科の医師達の生活や家族のことを考えると胸が詰まります。
それでも、
「上伊那地域では、里帰り出産を禁止して出産件数を減らそうと算段していますが、産科医師の減少は全国的な広がりを見せているので、よそへ押し付けて数字上のつじつまが合うと考えるのは虫が良すぎます。」などということが言えますか?
「白い巨塔」って何ですか?何故、現場で働いている人間の話を直接聞かずにテレビドラマやマスコミの報道のみで現場の状態が理解できると本気で思っているのですか?いいですか?「白い巨塔」なんて「壁を突き破る」どころか、すでに崩壊してしまっていますよ。大学病院の権威なんて働く医者がたくさんいた時代の話です。厚生労働省がすすめた臨床研修医制度が原因で大学病院で働く医者は激減しました。昔みたいに産婦人科医師がいない地域に医師を派遣しようにも医師がいないのです。教授が医局員にやめないで欲しいと泣きついている時代ですよ。
いいですか?産婦人科の先達は自己犠牲の精神で日本の周産期医療を世界のトップレベルに押し上げてきました。今、現場に残っている産婦人科の医者も自己犠牲の精神で頑張っています。医療ミスはないのに結果が悪ければ訴えられ、そして高額の賠償金(億単位)を払わせられる。犯罪人として扱われる。結果が良くても当然とされ感謝の言葉もない。
そんなリスクの高い環境で産科医療を行っていることを本当に理解していますか?周産期医療の崩壊を嘆くなら、まず、産婦人科医がなぜ少なくなったのかについて、現場で働く医師の一人一人に直接話しを聞くべきではありませんか?そのような努力をしてきましたか?マスコミの情報だけで判断していませんか?
「行政も慣例やプライドを捨てて、地域の人材に問題解決の助けを求める姿勢に転換する必要がある緊急事態です。」
現場の産婦人科医師はこれまで自分の生活・財産を犠牲にして母子の生命を守ろうと頑張ってきました。しかしながら現場の人間はもう限界です。これ以上はできません。これ以上を求められるならば医者を辞めるつもりです。
私はブログ主に聞きたい。現在の産科医療を支えるために、あなた自身は今現在どのような自己犠牲を払っていますか?また、どのような自己犠牲を払う覚悟ですか?自分の生活・財産を犠牲にする覚悟はありますか?医者ではないから自己犠牲を払わなくていいということはありませんよ。 あなたが、あなたの地域の未来というものを本当に憂えているなら、人として自己犠牲を払うべきです。痛みを伴わない署名活動などでは決して解決しませんよ。
他者に依存したり問題解決を図ろうとする姿勢こそが問題であり、甘えではありませんか?
周産期医療の崩壊は進行してはいません。進行していたのは過去の話です。もう崩壊してしまったのです。
それと妊娠・出産はご指摘のように病気ではありません。ですから、陣痛のきた妊婦さんが救急車を呼んで病院に行くというのは馬鹿馬鹿しい限りです。妊娠・出産というのは他の動物と同様に「自然の営み」です。すなわち生命が誕生し、死に至るという一連の過程で起こる一場面です。「自然の営み」である以上、他の動物と同じように妊娠・出産で母親や赤ちゃんが亡くなることもあります。実際、10万人あたりアフガニスタンでは1900人、アフリカでは830人、ヨーロッパで24人の妊産婦さんが亡くなっています。現在の日本では10万人あたり6~7人の妊産婦死亡ですが、自宅出産がメインであった1950年代の日本では180人の妊産婦さんが亡くなっています。当然のことですが人間だけが妊娠・出産というリスクから守られているわけではありません。繰り返し言いますが、妊娠・出産は病気ではありません。「自然の営み」です。ですから、医者や助産婦の介助で産まなければならないということはありません。しかしながら、妊娠・出産というものを本当に理解していますか?
私自身は誰がどこで産もうと勝手であると思っています。好きな場所で好きな方法で好きなスタイルで産んでもらって構わないと思います。ただ、手遅れになってから病院にくるのはやめて欲しいと思います。まず、何より他の妊婦さんにとって迷惑ですし、受け入れる余裕がありません。妊娠・出産というものを本当に理解しているのならば、どのような結果になろうとも「自然の営み」として受け入れるべきではありませんか?
Posted by 眠れない産婦人科医 at 2007年11月08日 06:23
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